うちには、長らく謎の現象がありました。
泣いている赤ちゃんを抱っこして歩くと、泣きやむ。そこはいい。問題は、疲れてソファに座った瞬間です。
泣きます。
同じ人間が、同じ強さで、同じように抱いているのにです。差分は「歩いているかどうか」だけ。
うちの子が厳しいのかと思っていました。違いました。これには「輸送反応」(英語でtransport response)という名前がついていて、日本の研究チームがきちんと調べていました。
先に結論:泣いている赤ちゃんは、①抱っこして5分歩く→②寝たらそのまま座って5〜8分待つ→③置く。これが理研の研究が示した手順です。そして「背中スイッチ」は、背中にはありませんでした。
目次
「輸送反応」とは何か
2013年、国際誌 Current Biology に、黒田公美さんらのチームが論文を出しています。
生後6カ月未満の赤ちゃんを、「ベッドに寝かせる」「座ったママが抱く」「ママが抱いて歩く」の3つで比べたところ、抱いて歩いたときだけ、赤ちゃんは泣きやみ、自発的な動きが止まり、心拍数まで下がりました。
座って抱いているだけでは、この反応は出ませんでした。うちのソファの件、論文に載っていました。
面白いのは、同じことがネズミの赤ちゃんでも起きることです。抱えて運ばれると、鳴きやんで、体をキュッと小さくする。つまりこれは、人間の赤ちゃんだけの話ではなく、哺乳類に広く共通する仕組みらしいということです。
なぜこんな仕組みがあるのか(以下、仮説です)
猫の子が首の後ろをくわえられると、ダランとして動かなくなるやつ。あれと同じ方向の話です。
親が子を抱えて移動するとき、子が暴れず静かにしていれば、親は楽に、早く、安全に運べる。研究者はこれを、赤ちゃん側からの「運ばれることへの協力」だと解釈しています。ねずみの実験では、この反応を邪魔すると、母親が子を回収するのに余計な手間がかかったそうです。
ここで、ちゃんと断っておきます。
「天敵から逃げるために黙る」という説明は、もっともらしくて楽しいし、研究の中でも議論されています。ただし、人間の赤ちゃんの脳が天敵を検知して黙っていると証明されたわけではありません。進化の仮説です。
正確に言うなら、「親に運ばれることをしやすくする、哺乳類が受け継いできた反応らしい」くらいがちょうどです。怖がって固まっているのではなく、協力してくれている。ここは、親として嬉しいところです。
実践編:5分歩いて、5〜8分座る
2022年、同じチームが「では、これを寝かしつけに使えないか」という研究を発表しました。泣いている赤ちゃんに対して、抱っこ歩行・座って抱く・ベビーベッドを動かす・寝かせるの4つを比べたものです。
- 抱っこして5分連続で歩くと、泣いていた赤ちゃんは全員泣きやんだ。うち約45%は、そのまま寝入った。
- 座って抱くだけでは、泣いている最中の子には効きにくい。動いていることが重要でした。
- 寝たあと、すぐに置かない。抱っこのまま座って5〜8分待ってから置くと、目を覚ましにくくなった。
この5分は、途中で立ち止まらないのがコツだそうです。一定のペースで、とにかく歩く。リビングを周回する父の姿は間抜けですが、なにしろ論文に書いてあるとおりの行動です。胸を張って周回してください。

背中スイッチは、背中になかった
この研究で一番「そうだったのか」と思ったのがここです。
赤ちゃんが目を覚ますのは、背中が布団に触れた瞬間ではなく、親の体との密着が離れはじめたときだったということです。
つまり、そっと置こうと上半身を離しはじめた、そのときにもう勝負はついている。布団にセンサーがあるわけではなかったんです。
これを知ってから、置く直前の技巧を磨くのをやめました。磨くべきは、座ったまま待つ忍耐のほうでした。
やってはいけないこと、知っておくこと
- 走らない。検証されたのは普通の歩行です。速くすれば効くという話ではなく、転倒リスクも頭への揺れも増えます。落ち着いたペースで、しっかり支えて歩く。
- 寝たら、固く平らな寝床に仰向けで。抱っこは「泣きやませる手段」であって、寝かせておく場所ではありません。抱っこひもでの寝かしつけも、親が一緒に寝落ちするのは危険です。
- 5〜10分歩いても泣きやまないときは、体調を疑う。中耳炎など、どこかが痛いことがあります。研究チーム自身が受診をすすめています。
- この研究は小規模です。対象は7カ月未満の赤ちゃんと21組、しかもお母さんだけ。全員に効く魔法ではありません。
最後の点は大事なのでもう一度。これを試して寝なかったとしても、あなたの抱っこが下手なわけではありません。
【僕の結論】「とりあえず歩く」は、正しかった
深夜に、意味もわからず亡霊のように部屋を周回していた行為に、名前とエビデンスがつきました。
しかも、こちらがやさしくしているだけではなく、赤ちゃんのほうも「運ばれるモード」に入って協力してくれているらしい。共同作業だったと思うと、深夜の周回も少しだけ報われます。

つまり、深夜に亡霊のように部屋を周回していたのは、僕と赤ちゃんの共同作業だったわけです。
まとめ
5分歩いて、5〜8分座って、それから置く。背中スイッチの正体は、背中ではなく「離れはじめた瞬間」でした。
なお、この手順を覚えたつぎの夜は、周回中に自分が先に眠くなりました。人間にも輸送反応が残っているのかもしれません。
参考にした資料
- 赤ちゃんの泣きやみと寝かしつけの科学(理化学研究所プレスリリース、2022年)
- Infant calming responses during maternal carrying in humans and mice(Current Biology, 2013)
- 赤ちゃんの泣きやみと寝かしつけを科学する―背中スイッチではなかった―(日本生理学会)
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